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焼き芋おじさん


<ユミ画伯のお絵かきコーナー>


その五十五 焼き芋おじさん




秋は、熟れたお芋のおいしい季節。
夏も終わり、この時期になると上海にも焼き芋おじさんが増えます。
日本のものとは品質が異なる様で、色は黄色くみずっぽい感じ。でも、甘くてうまい。

ところで、グラムいくらで売るのですが、旧式の量り方の為、結構「差不多」。


差不多(チャーブドー)・・・大差がない。似たり寄ったりだ。てきとう。
使用例:这么差不多!每次价格不一样!
(なんと適当!毎回値段が違うじゃないの!)



  


なぬー!タクシーにて。




Welcome to CHINA!!





という感じですよ、もうこれ↑
先日、タクシーに乗車した際、運転手より、「お前、日本人か、先日これを乗車代として日本人から渡された」といって手渡されたもの。
二 セ サ ツ でございます。

うそー、そんな日本人がいるなんて!超ショック!
と思ったけど、よく考えると・・日本人、そんな事するかあ?


しかも、「もしもし」といいながら、渡されたらしい。
(この時点で、日本人じゃないし!)

でも、そんな区別、こういうローカルの運転手さんはぜんぜんわかってないし、日本人の印象悪くなる事は上海に住む日本人として許せない私はつい、反射的に乗車代を多く置いてきました

そうそう、そうなの、私。
現地人にずいずい、ぐいぐいいくけど、このポイントを本当に大事にしてる部分なのだ。


ああ、朝から興奮した!
  


家族、上海招待ツアー


大家好、我是村上.

最近部屋のネット回線の調子がおかしくて、
なかなかブログの更新ができずフラストレーションが溜まっていた上
さらに部屋のエアコンが突然故障し、大家と新品交渉早一週間、
ますます血の気が多くなってきている今日この頃、村上です。

さて。最近日本から我が家族が上海を訪れ(!)
とてもテンションがあがりました。

日本は疎か、東北から出たことがない生粋の東北人である家族が
上海に来る日はあるのだろうか。
思い続けて早3年・・・待ってみるものですね!




これは、兄弟で生果物ジュースを選んでる弟と私(後ろ姿)です☆

皆も中国語に興味をもってくれて、嬉しい限り!

思い出はまとめて更新します(^^)
  


雨の日の危険


<ユミ画伯のお絵描きコーナー>


その五十四
雨の日の危険








 
雨の日に注意したい点は、人と人とのすれ違い。
傘が折れ、ホネがつきだした状態でもさし続ける人が多いので、特に細い道、人ごみは注意が必要。
ものを大切にするのはいいのだけれど・・・危ないってば。












  


ローカルコンビ二


<ユミ画伯のお絵かきコーナー>


その五十三 ローカルコンビ二












まだ上海にきて間もない頃に、とあるコンビ二入ったときの事。
お弁当は全て売り切れ、と思いきや
なんと店員さん、お店のお弁当で腹ごしらえをしていて驚いたことがありました。

しかし、
日系のコンビ二(ファミマ:全家(チュエン ジャー)、ローソン:罗森(ルオ セン))等サービス教育の行き届いたコンビ二では
さすがにあまり見かけませんが、
ローカルコンビ二ではよくみられる光景。

また、よく店内を見渡してみれば
惣菜等冷蔵品の棚、ドリンクコーナーには、休憩時間に食べるであろう
自分達で持参した弁当をあちらこちらに見ることができます。

コンビ二でいて、生活感たっぷり。







  


薄着の時期気になる赤いアザ

<ユミ画伯のお絵かきコーナー>

その五十二 薄着の時期気になるアザ









薄着の季節になると目立つ為、とても気になっていた中国人女性の赤い輪のアザ。
その正体は、さすがは老若男女問わず関心が強い中国、
マッサージ(漢方系マッサージに多い)でした。
さりげなさを美しいと考える我々日本人とっては、
そんなに痛々しい痕をつけてまで?と、思うところですが、
文化関係なく健康に関心があるという事は間違いありません。

  


マッサージの一種?


<ユミ画伯のお絵かきコーナー>


その五十一 マッサージ(按摩)の一種?





ある日街を歩いていて見かけた光景。
地面には「家伝の秘宝」とありました。
うっ血させて血行の流れをよくする類のマッサージは有名ですが、その一種?
友人の上海人に聞いてみると、「怪しいから利用したことがない」の一言。
現地人でも、こういった露店系だと若い方はあまり利用しないようです。


  


オフイスビルで


<ユミ画伯のお絵かきコーナー>


その五十 オフイスビルで

 


  


使用済?


ユミ画伯のお絵かきコーナー


その四十九 使用済み?















  


毎日家族と復旧作業


昨晩無事、気仙沼から上海に戻りました。

実際に津波に襲われた故郷をみて、家族や友人から体験談をきいて、

色々な感情が沸いた10日間だったけれど、

まず、一番言いたいことは、

自衛隊、そしてボランティアの皆さん、本当にありがとうございます。

これです。

瓦礫の山の撤去作業や避難所の炊き出し等

そして全国から寄せられる、数々の支援物資。

なんと、有り難い。

この場をお借りして、心よりお礼申し上げます。

その気持ちになんとしても応えなければ。。

本当にそう思い、私もこの丸一週間、せめて私ができる事、毎日家の復旧作業に集中しました。

一人ひとり、元の生活に戻るように進むこと。それがまず私達にできる、第一の恩返し!!

村上家は、1階全て波につかり、津波のラインもしっかり刻まれていました↓が、




 

 



泥だらけになった家も大分きれいになりました。

家族で力を合わせて、毎日復旧作業。

終わったら皆で川の字で寝る。

なんだか、子供の頃に戻ったような気もちでした。

決して津波に「有難う」なんて決して言わないけれど、現代人として生活しているうちに大切な何かを忘れかけていて

今回のことで、そんな何かを思い出したのも事実。

被災地の多くの人から、そんなパワーを感じたから、復興するのもきっと早いんだ!

そう信じて、今、私ができる事を精一杯やっていこうと思います。























  


避難所生活の家族との再会



この現実の中で、被災者の皆さんは、家族は、どういう気持ちで毎日を過ごしているのか。

そしてそのまま避難所へ行き、無事に家族とも再会しました。

母の第一声「あら、いつきたの」

父の第一声「お、味噌汁のむか」

あら?
こっちは毎日はらはら、どきどき、被災地で暮らす家族のメンタル面は・・・

といろいろな心配をしていた分、若干拍子抜けしました。

間接的な情報に振り回され、余計な心配をしていたのかしら??

父も母も、兄も姉も弟も、家族みな、元気。

「家の一階全部泥でひどかったけど、みなで泥取りして、大分きれいになったよ。ユミ、明日壁の泥取りしてけらい」と、母。

家族、そして気仙沼の人々、ちゃんと現実を受け入れ、町の復旧、復興のため生活していました。

これだ。

これが、我ら三陸の人々。

よし!やりましょう!

壁の泥取りでもなんんでも!

  


ヘドロのにおい


上海から飛行機で成田に入り、新宿から高速バスで仙台へ。

一日目は仙台の姉の元に一泊し、翌朝気仙沼に帰ってきました。

そこに向かう途中の景色。

気仙沼に近づくにつれ、何やら窓から見える景色が、おかしい。。

さまざまな目印が、ない。

今まで建物に隠され簡単に見えなかった三陸の海が、すぐそこに見える。

建物が、ない。そしてないはずの場所に建物が、ある。

そして、がれきの道路へ。

唖然。ただ、唖然。


今までテレビ、新聞の画像で見ていた気仙沼の光景。

ひどかった。

私の中の、想像の範囲を、超えていました。

360度。がれきって、想像できるもんか。

ここは、どこ?私の知らない、別の町、もしくは外国?

なんというか、見たことないけど、戦後の焼け野原って、こうだったのだろう。

もう、ただ、唖然としました。

そして一番全身が震えるほど驚いたのは、町のにおい。

町全体が、海の中のヘドロのにおいで覆われていました。

これが、津波。

ひどい、津波。

きれいな街だったのに。

ただ、ただ、悔しい。




  


気仙沼へ

日本に帰る事になり、台湾人、フランス人の友人から、手紙をもらいました。




「気仙沼の避難所のご家族にも見せてください」

本当に、本当に

ありがとう。

いってきます

あいする町、気仙沼へ。
  


Thank you my friends


Dear Nick,Peter,

thanks for spending with me and tell me this 天灯,

thanks so much my friends,











  


現在の気仙沼市の状況


被災地にいる姉と電話をして得た、気仙沼市の情報をまとめてみようと思います。

【気仙沼市内の人々の様子】

避難所にいる人の場合、昼間は実家等へ行く方が多い。
移動手段は自転車、徒歩。
家の状態確認、泥取り作業等をしている。
また、洗濯、入浴等をし、再び避難所に戻り睡眠をとる。
道路は流された家がふさいでいる状態。

避難所ケーウェーブから三日町の祖父母の家まで1時間かかるそう。


【避難場所:ケーウェーブ(総合体育館)】

避難場所では、被災一日目は寒さの中毛布もない状態で過ごしたものの、
2日目からは毛布も支給。
食糧、水等は充分支給されている。
その点では市内より、むしろ避難所の方が恵まれているのでは、
問題はお風呂に入れない事くらい、との事。
それと、風邪も流行りだしていること。
携帯電波が非常に悪い。
なので、電話をかけるなら昼間、避難所からでているタイミングがいい様子。

【南郷地区の実家の様子】

南郷地区はすっかり津波にのみ込まれ、壊滅。
奇跡的に実家はあるものの、一階が泥まみれ。
今日も母が泥取り作業中。
庭の倉庫は完全に流され、行方不明。
姉の命、スノーボードも流される。
母の車、父の車は流され、がれきの山に刺さって発見。

【地震発生時~津波発生時 家族の行動】

母は階上の職場で仕事中。地震直後、家の様子をみる為、即車で帰宅。
もう少し時間が遅かったら渋滞に巻き込まれ身動きがとれず、その国道は津波が襲い車毎流されていた。

父、弟は大学の春休み中で実家に。
地震発生時は、用事があり三日町の祖父母の家に向かう途中だった。

兄は仕事中。友人宅に避難。

姪は南気仙沼小学校で、授業中。
地震発生後直ぐ教師、生徒ともに避難所ケーウェーブへ避難。

姉は仙台中心部で仕事していたが、いてもたってもいられず車で気仙沼市内をめざす。
道路状態最悪ながらもなんとか到着。
しかし、我が家南郷地区は海水が押し寄せ入れず、近くの駐車場で一晩をすごす。



と、こういう事でした。
なるほど・・・皆の足取り、今の状況がわかり、やっと実感が湧いている所です。
私が愛したあの街の状況、ひどいです。
でも、感傷に浸るのはもうおしまい。
電話の最後に姉は一言、「ほんと、この状況、戦後だね」。
対処を考えないと。
  


大地震・大津波後8日目、やっとつながった!!!



本日やっと、

気仙沼の姉と、連絡がつきました!!!

地震発生から4日後、家族全員無事の知らせを受けましたが、
実際、直接本人達の声を聴いてない為、あれやこれやと考え、
再び不安になっていました。

そもそも、私の兄弟は4人いて、さらに姪もいて、気仙沼には祖父母もあわせて計8人。
本当に一人欠ける事なく無事という意味なんだろうか。
親戚あわせたら・・・えっ、20人近くいるのでは?!

その家族親戚一同、
皆、無事でした。

奇跡です。

ご先祖が生かしてくれたね。

本当に有難うございます。

今回「生きた心地がしない」状態を初めて味わいました。

25歳の時、上海に挑戦しにきて、見事大失敗。
そこから今に至るまでに、路頭に迷った時もありました。

あの時も同じように生きた心地がしなかったけど、
今回のは性質も違うせいか、全然違う。

重い鐘が、ずーんと体全体に乗っていて、ちょっとでも気が緩んだらつぶされて起き上がれない感じ。

「家族」は私の軸です。

生きていてくれて、ありがとう。
私も、前を向いて生きていける。

そして、心配してくれた皆さんに心から感謝致します。

国籍関係なく、様々な言葉で慰めてくれて
一人にならないよう、皆でいてくれた友人達。
御蔭で、どれだけ気が紛れたか。


そしてこのブログにコメントを下さった皆さん、
暖かい、優しいコメントに、本当に心が救われていました。

本当に、本当に、有難うございました。
  


被災地からのメッセージ

今日になって、気仙沼の友人、何人かからメールで連絡がきました。
「皆団結して頑張ってるから、安心して仕事頑張って!またメールします」

家が流されたのに
街が破壊されたのに

「やっとつながった!大変なことになってるけど、大丈夫。大和魂をなめるな!」

皆、強い。

読みながらぶわっと仕事中に涙がでてきたから、トイレに走った。
なんで被災地の人たちが頑張ってるのに、こっちが弱ってんだ!

人間って、強いんだ。

自分達のご先祖たちも、そんな色々な事件に遭っても乗り越えて、作ってきたから、今がある。
今度は我々が作っていかなくては。
「先祖が作ってきた今を、我々で終らせるわけにはいきません」

本当だね。

頑張ろう!
  


家族全員無事


昨日、家族全員の無事がわかりました。

家族の安否を心配してくれた皆さん、本当にありがとうございます。

勿論本人たちと直接コンタクトはとれていないけれど、私はこのコメントを信じます。

姉もやっぱり真っ先に、仙台から気仙沼にかけつけ、家族の元にいた。

そしてその情報を、被災の現場の中、人伝いに伝えてくれるなんて・・・・

心が、暖かくて、痛い。

気仙沼、三陸の、あの地方の人たちには運がある。

未だご家族の安否がとれていない皆さんもどうか、あきらめずに頑張ってください。

皆連絡がとれないだけで、ちゃんとやる。

そして被災地の皆さん、どうか

頑張れ頑張れ頑張れ。



  


信じる


昨日から会社が始まった。

社長より、いざとなったら日本帰国の許可を頂きました。

でも、仙台にいるはずの姉とも連絡がつかないから、今帰ってもしょうがない。

きっと姉は、自分の娘の所在を確かめるべく、気仙沼に入ったんだ。

皆、戦ってるんだ。

早く自分の目で確かめたい

でも、テレビはこれ以上みたくない。

でも、でも・・・。

今はひたすら信じるのみ。

きっと戦時中もこうだったんだ。

電話もなくて、「絶対帰ってくる」と信じて待っていたら、本当に帰ってきた。

でしょ?

じーちゃんだって、レイテ沖に向かう途中、襲われて負傷した御蔭で途中でマニラの病院に降りて助かった。

ちゃんと、気仙沼に帰ってきた。

今私にできること、「信じる」事。
  


上海より

上海で、中国で、韓国で、台湾で、世界で、トップニュースになっている。

昨日初めて映像でみて声がでなかった。

みたことのない気仙沼があった。

家族にも連絡がつかない

無事でいると、信じてる。

どうか、どうか皆、頑張ってください。