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避難所生活の家族との再会



この現実の中で、被災者の皆さんは、家族は、どういう気持ちで毎日を過ごしているのか。

そしてそのまま避難所へ行き、無事に家族とも再会しました。

母の第一声「あら、いつきたの」

父の第一声「お、味噌汁のむか」

あら?
こっちは毎日はらはら、どきどき、被災地で暮らす家族のメンタル面は・・・

といろいろな心配をしていた分、若干拍子抜けしました。

間接的な情報に振り回され、余計な心配をしていたのかしら??

父も母も、兄も姉も弟も、家族みな、元気。

「家の一階全部泥でひどかったけど、みなで泥取りして、大分きれいになったよ。ユミ、明日壁の泥取りしてけらい」と、母。

家族、そして気仙沼の人々、ちゃんと現実を受け入れ、町の復旧、復興のため生活していました。

これだ。

これが、我ら三陸の人々。

よし!やりましょう!

壁の泥取りでもなんんでも!

  


ヘドロのにおい


上海から飛行機で成田に入り、新宿から高速バスで仙台へ。

一日目は仙台の姉の元に一泊し、翌朝気仙沼に帰ってきました。

そこに向かう途中の景色。

気仙沼に近づくにつれ、何やら窓から見える景色が、おかしい。。

さまざまな目印が、ない。

今まで建物に隠され簡単に見えなかった三陸の海が、すぐそこに見える。

建物が、ない。そしてないはずの場所に建物が、ある。

そして、がれきの道路へ。

唖然。ただ、唖然。


今までテレビ、新聞の画像で見ていた気仙沼の光景。

ひどかった。

私の中の、想像の範囲を、超えていました。

360度。がれきって、想像できるもんか。

ここは、どこ?私の知らない、別の町、もしくは外国?

なんというか、見たことないけど、戦後の焼け野原って、こうだったのだろう。

もう、ただ、唖然としました。

そして一番全身が震えるほど驚いたのは、町のにおい。

町全体が、海の中のヘドロのにおいで覆われていました。

これが、津波。

ひどい、津波。

きれいな街だったのに。

ただ、ただ、悔しい。