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Thank you my friends


Dear Nick,Peter,

thanks for spending with me and tell me this 天灯,

thanks so much my friends,











  


現在の気仙沼市の状況


被災地にいる姉と電話をして得た、気仙沼市の情報をまとめてみようと思います。

【気仙沼市内の人々の様子】

避難所にいる人の場合、昼間は実家等へ行く方が多い。
移動手段は自転車、徒歩。
家の状態確認、泥取り作業等をしている。
また、洗濯、入浴等をし、再び避難所に戻り睡眠をとる。
道路は流された家がふさいでいる状態。

避難所ケーウェーブから三日町の祖父母の家まで1時間かかるそう。


【避難場所:ケーウェーブ(総合体育館)】

避難場所では、被災一日目は寒さの中毛布もない状態で過ごしたものの、
2日目からは毛布も支給。
食糧、水等は充分支給されている。
その点では市内より、むしろ避難所の方が恵まれているのでは、
問題はお風呂に入れない事くらい、との事。
それと、風邪も流行りだしていること。
携帯電波が非常に悪い。
なので、電話をかけるなら昼間、避難所からでているタイミングがいい様子。

【南郷地区の実家の様子】

南郷地区はすっかり津波にのみ込まれ、壊滅。
奇跡的に実家はあるものの、一階が泥まみれ。
今日も母が泥取り作業中。
庭の倉庫は完全に流され、行方不明。
姉の命、スノーボードも流される。
母の車、父の車は流され、がれきの山に刺さって発見。

【地震発生時~津波発生時 家族の行動】

母は階上の職場で仕事中。地震直後、家の様子をみる為、即車で帰宅。
もう少し時間が遅かったら渋滞に巻き込まれ身動きがとれず、その国道は津波が襲い車毎流されていた。

父、弟は大学の春休み中で実家に。
地震発生時は、用事があり三日町の祖父母の家に向かう途中だった。

兄は仕事中。友人宅に避難。

姪は南気仙沼小学校で、授業中。
地震発生後直ぐ教師、生徒ともに避難所ケーウェーブへ避難。

姉は仙台中心部で仕事していたが、いてもたってもいられず車で気仙沼市内をめざす。
道路状態最悪ながらもなんとか到着。
しかし、我が家南郷地区は海水が押し寄せ入れず、近くの駐車場で一晩をすごす。



と、こういう事でした。
なるほど・・・皆の足取り、今の状況がわかり、やっと実感が湧いている所です。
私が愛したあの街の状況、ひどいです。
でも、感傷に浸るのはもうおしまい。
電話の最後に姉は一言、「ほんと、この状況、戦後だね」。
対処を考えないと。
  


大地震・大津波後8日目、やっとつながった!!!



本日やっと、

気仙沼の姉と、連絡がつきました!!!

地震発生から4日後、家族全員無事の知らせを受けましたが、
実際、直接本人達の声を聴いてない為、あれやこれやと考え、
再び不安になっていました。

そもそも、私の兄弟は4人いて、さらに姪もいて、気仙沼には祖父母もあわせて計8人。
本当に一人欠ける事なく無事という意味なんだろうか。
親戚あわせたら・・・えっ、20人近くいるのでは?!

その家族親戚一同、
皆、無事でした。

奇跡です。

ご先祖が生かしてくれたね。

本当に有難うございます。

今回「生きた心地がしない」状態を初めて味わいました。

25歳の時、上海に挑戦しにきて、見事大失敗。
そこから今に至るまでに、路頭に迷った時もありました。

あの時も同じように生きた心地がしなかったけど、
今回のは性質も違うせいか、全然違う。

重い鐘が、ずーんと体全体に乗っていて、ちょっとでも気が緩んだらつぶされて起き上がれない感じ。

「家族」は私の軸です。

生きていてくれて、ありがとう。
私も、前を向いて生きていける。

そして、心配してくれた皆さんに心から感謝致します。

国籍関係なく、様々な言葉で慰めてくれて
一人にならないよう、皆でいてくれた友人達。
御蔭で、どれだけ気が紛れたか。


そしてこのブログにコメントを下さった皆さん、
暖かい、優しいコメントに、本当に心が救われていました。

本当に、本当に、有難うございました。
  


被災地からのメッセージ

今日になって、気仙沼の友人、何人かからメールで連絡がきました。
「皆団結して頑張ってるから、安心して仕事頑張って!またメールします」

家が流されたのに
街が破壊されたのに

「やっとつながった!大変なことになってるけど、大丈夫。大和魂をなめるな!」

皆、強い。

読みながらぶわっと仕事中に涙がでてきたから、トイレに走った。
なんで被災地の人たちが頑張ってるのに、こっちが弱ってんだ!

人間って、強いんだ。

自分達のご先祖たちも、そんな色々な事件に遭っても乗り越えて、作ってきたから、今がある。
今度は我々が作っていかなくては。
「先祖が作ってきた今を、我々で終らせるわけにはいきません」

本当だね。

頑張ろう!
  


家族全員無事


昨日、家族全員の無事がわかりました。

家族の安否を心配してくれた皆さん、本当にありがとうございます。

勿論本人たちと直接コンタクトはとれていないけれど、私はこのコメントを信じます。

姉もやっぱり真っ先に、仙台から気仙沼にかけつけ、家族の元にいた。

そしてその情報を、被災の現場の中、人伝いに伝えてくれるなんて・・・・

心が、暖かくて、痛い。

気仙沼、三陸の、あの地方の人たちには運がある。

未だご家族の安否がとれていない皆さんもどうか、あきらめずに頑張ってください。

皆連絡がとれないだけで、ちゃんとやる。

そして被災地の皆さん、どうか

頑張れ頑張れ頑張れ。



  


信じる


昨日から会社が始まった。

社長より、いざとなったら日本帰国の許可を頂きました。

でも、仙台にいるはずの姉とも連絡がつかないから、今帰ってもしょうがない。

きっと姉は、自分の娘の所在を確かめるべく、気仙沼に入ったんだ。

皆、戦ってるんだ。

早く自分の目で確かめたい

でも、テレビはこれ以上みたくない。

でも、でも・・・。

今はひたすら信じるのみ。

きっと戦時中もこうだったんだ。

電話もなくて、「絶対帰ってくる」と信じて待っていたら、本当に帰ってきた。

でしょ?

じーちゃんだって、レイテ沖に向かう途中、襲われて負傷した御蔭で途中でマニラの病院に降りて助かった。

ちゃんと、気仙沼に帰ってきた。

今私にできること、「信じる」事。
  


上海より

上海で、中国で、韓国で、台湾で、世界で、トップニュースになっている。

昨日初めて映像でみて声がでなかった。

みたことのない気仙沼があった。

家族にも連絡がつかない

無事でいると、信じてる。

どうか、どうか皆、頑張ってください。
  


中国のテーブルマナー①

<ユミ画伯のお絵かきコーナー>

第四十八段 中国のテーブルマナー①



中国のテーブルマナー
それは、
 
骨等不要なもの→直接テーブルへ。
(箸伝いではなく、直接口からだす)
 
スープ→おいしそうに音を立ててのむ。
 
そう、お上品にお皿を持ってこぼさないように口へ運んで・・・
ではいけません。
 
とにかくおいしそうに食べる。
それさえあれば、形は構いません。
 
それが中国のテーブルマナー。